Acts of God

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☆ Act.30 ☆



 堅固だと、信じていたものが。
 信じ込むあまり、それが揺らぐ可能性すら考えたこともなかった、たとえば足元の地面のようなものが。
 実はただの薄い一枚板だったことを、いきなり思い知らされたような。
 ……そんな気が、した。


「…伸。お前」
 石の様に黙ったまま、うつむいていた当麻の口から。やや押し殺したような声で、自分の名前が出たのに。
 静かに相手の反応をうかがっていた伸が、少し顔をあげると。
「お前、本当に、……本気で、鎧珠の封印。解こうとしたか?」
「…え?」
「そんな気配、俺は微塵も感じなかったぞ。あの時」
 ああ、と伸は浅く相槌を打った。
「実際に、封印を解こうとするまでには、至らなかったからね」
「………」
「そうしようとした、直前に……お前の、天空の封印を、解こうかどうしようかと一瞬迷った時点で。いつもとは何だか、様子が違ってることに気付いたんだ。
 どう表現したらいいのか……天空の力が、まるで何かの膜のように、すっぽり水滸の珠を覆って……強く包み込んでいるような。そんな、感じがしたんだよ」
 適切な表現を模索している口調で、ゆっくりと、伸は言葉を進めた。
「だから、もしかしたら強く念じれば、あっさり解くことができたのかもしれない。でも、それに気付いた時点で何故か、すっと解く気が失せて……何だか解いちゃいけないような気まで、してしまって」
「………」
「で、迷い続ける時間も余裕もなかったし……結局、なしくずしにあんな、拉致されるような流れになったんだけど。でも今思えば、あれは明らかに、僕の判断ミスだったと……」
「いや。それは違うだろ」
 すかさず、そう短く否定され。
 思わず口をつぐんでしまったらしき相手に、
「お前の判断がどうの、って問題じゃないさ」
 と、付け足して。
 そのまま再び、当麻は沈黙した。


 気のせいだとはわかっていても。……部屋全体の空気が、どんよりと重みを増したような。
 そして、身体中の皮膚の表面が、冷たくこわばってしまったように感じていた。
 なのに何故だろう、頬の表面だけがやたら火照ってるな、などと思いつつ。

 とにかくあらゆる可能性を、想定してみようとして。でも、思考がうまく回らない。
 ……いや、多分。
 考えるまでもない。

 そうなってしまった、理由について。
 思いあたることは、あった。あるなんてもんじゃなかった。

 ついさっき、階下のラウンジで。
 パーマー捜査官に伸が語った言葉の一節が、鮮明に、当麻の脳裏をよぎる。

 昨日の午後遅く、まさにこの場所で。……いや、ここしばらくずっと。
 俺は、何かを願っていなかったか?

 そう。それこそ必死の思いで。そして心の底から。
 ──── 確かに俺は、願っていたじゃないか。


「…正直すぎるぞ、鎧珠の奴」
「え?」
 思わず、小声でそう呟いてしまい。
 相手が即座に反応したのに、いや、とゆるく首を横に振ってみせ。
 テーブルの上に腕を伸ばし、ミネラルウォーターのボトルを手に取って、蓋を開け。いつの間にか乾ききっていた口の中を、少しぬるくなっている水で、潤してから。
「とにかく今一番の、問題は」
 と、当麻は切り出した。
「俺が見事に無自覚だった、という点だな」
「………」
「…それでもさっき、あの教会で、鎧珠の力を使った時には。久々の割にはまあまあだったかなんて、ちょっと思ったりもしたんだけどな。まさか最も肝心な部分が、そんなだったとは。まさに虚を突かれたと言うか」
 湿したばかりの舌先が、もう乾き始めているのに気づき、再び水を一口飲んで。
 努めて平坦な調子になるように、言葉を繋ぐ。
「ただ終わったことはこの際、ちょっと置いとくとして。問題は今後、だよな」
「……?」
「何らかの対策を講じなきゃならんのだろうが、それ以前に、講じられるようなものなのか。それすら今の時点では、曖昧な状態だと思うんだが」
 訝しげな様子で。それでも自分の言葉に、黙って耳を傾けている相手の気配を、強く意識しつつ。
「たださしあたり、しなきゃならない……ひとつ確実に、言えるのは。俺は当面、外れた方がいい……外れるべきだってことだ」
「…外れるって、何を」
「何をって」
 無愛想な口調のまま、当麻は返した。
「そりゃあお前の、……水滸の封印役に、決まってるだろ」



 数秒の、間合いを置いてから。
 ややあっけにとられたような声で、
「どうしていきなり、そんな話になるんだよ」
 と、伸は返した。
「いくら何でも、飛躍しすぎだろ。わけがわからないよ」
「それほど飛躍した話でもないさ」
「………」
「封印をする、そもそもの目的。水滸の珠の力が、勝手に発現するのを防ぐあるいは監視するという、その目的にそぐわない……関係のない部分で、まるで不必要な、過剰な力が発現してたってわけだ。要は。しかも、天空の珠の主である俺が、そのことに、ものの見事に気付いてなかったってのは。問題どころか、まさに致命的だ」
 自分の口から漏れ続けている、極力軽めに喋ろうと努めるあまり、可笑しげにさえ聞こえる声が。
 何だかあまり自分のものではない、遠いもののように、ぼんやり感じながらも。
「もちろん。ローガン空港で俺が話した仮説のとおり、遠く日本を離れてるって事実も、その一因ではあるだろうな。ただこんなことは正直、今までまったく無かったし……慎重に、熟考してみる必要があると思う。とにかく何はともあれ、こんな不安定な状態にある俺が、このままお前のサポート役を務めるわけにはいかないだろ?
 だからあと三日……や、もう日が変わってるから実質、二日間か。ここアメリカにいる間は仕方ないとして、日本に戻ってからは……もし水滸の封印が必要な状況になったら、面倒だろうが、秀にでも征士にでも、遼にでも。頼んでくれないか。もちろん俺からも、事情を話す」
 手に握ったミネラルウォーターのボトルに、視線を向けたまま。途切れることなく、当麻は続けた。
「相当身勝手なことを言ってるってのは、重々わかってる。でも今のところ、それが最善策だと思う。他に良案も浮かばないし、それ以前に俺自身、若干まだ混乱してるというか ……いまいち、思考がまとまらない感じだしな」
 調子に乗って少々飲み過ぎたかな。
 苦笑まじりに、そう言い添えて。
「まあとにかく、そういうことだ。だから……」

 ──── だから俺はしばらくの間、お前とは会わない。

 そう、頭の中ではよどみなく続けられたものの。同時に、胸が張り裂けそうな心地になってしまい。
 肝心のそのひとことが、どうしても口から出せなくて。
 再びうつむいた、当麻の耳に。

「…何を言ってるんだか、よくわからないよ」
 と、静かな声が届いた。

「だからどうして、そんな……そんなに極端な、結論になるんだ。ちょっと鎧珠が、暴走しただけのことじゃないか」
「ちょっとじゃないさ」
「…だとしても」
 あくまで抑え気味の、しかしあきらかに、腹立ちと戸惑いが滲んだ口調で。
「そりゃあ水滸とは違って、お前の天空は、いつもとても安定してるから。だからお前にしてみれば、知らないうちに鎧珠が勝手な動きをしてたってのは、相当ショックなのかもしれないけど」
「………」
「でも、お前がボストンの空港で言ってた話……日本を離れることで、鎧珠の力が、いくらか逸脱するのかもしれないっていう。要はそのせいなんだろう? だったら日本に戻りさえすれば、全然問題ないんじゃ」
「いや」
 小さく首を横に振って。
「確かにそのせいもあるだろう。だがおそらく、事はそんな単純なものじゃない」
「………」
 とりつくしまもない風に、そう言い切った相手を、険しい表情で伸は見返していたが。
 やがてイライラしたように、だって、と言った。
「だって、守ろうとしてくれてたんだろう?」
「………」
「パーマー捜査官や……それだけじゃなくて、FBIとか、あの時僕を拉致した奴らからも。どうにかして、僕を守ろうと……そう、強く願ってくれてたからこそ、だろう? 一体それのどこが問題なんだよ。
 問題なのは……判断を誤ったのは、さっきも言ったけど、どう考えても僕の方じゃないか。少々無理してでも、その場で封印を破るべきだったのを、躊躇して……そう決断できなかったのは」
「本当に、破れなかった可能性だってあるだろ」
「………」
 どっちにしろお前は何ひとつ悪くないのだ、と。
 そう続けかけて、だがやはり変わらない返し言葉が、……だったら一体何なのだ、と。
 即座に返ってくるに違いないのが、容易に想定できてしまい。

 ほらみろ、と。
 せせら笑う声が、聞こえたような気がした。
 言わんこっちゃない、と。
 ……こんな付け焼刃の、うわっつらの言い訳で、誤魔化せるような。誤魔化されてくれるような相手じゃないだろうが、と。

 続く言葉もなく、押し黙っている当麻を。
 伸はしばらく、睨みつけるように見ていたが。
 やがて視線を逸らし、
「そうだね」
 と、ため息混じりに呟いた。
「それも、ありかもしれない。まあ今までだって、そう頻繁に頼んでたわけでもないけど」
「……?」
「僕の……水滸の、いつまで続くかもわからない暴走に。結局ずっとお前を巻き込んで……疲れさせてしまってばかりなのは、確かだし。もしかしたらそれこそが、暴走の原因って可能性もあるだろうしね。だからしばらくの間、お前をあてにしないでやってく覚悟をするってのも、いいかもしれない」
 軽く自分で頷きながら、そう続け。
「少しは、お前の気も休まるだろうし。何よりお前がそうしたいんなら」
「違うっ!」
 思わずかっとなって、顔をあげ。
 んなわけあるか! と当麻は声を荒げた。
「俺がお前の封印役を、外れたいわけがないだろ! 大体俺がどれだけ……勝手に話を作るな!」
「じゃあどうして」
「………」
「いつもは何でも嫌になるほど、理路整然と講釈してくれるくせに。今の話にかぎって、なんだかしっくりこないというか、よくわからないことばかり……納得できないんだよ。もっとちゃんと説明してくれなきゃ、納得できないよ!」
 滅多に聞かれることのない、強い口調で相手が言った、それとほぼ同時に。
 ほとんど空になっていたボトルを、テーブルの上に置いて。当麻はソファから立ち上がった。
 いきなり伸ばされた膝に押され、ローテーブルの足が床に擦れて、大きく音をたてる。
 立った拍子に一瞬、軽く立ちくらみのような眩暈がしたのに、思わず眉根を寄せながら。
「…悪い。やっぱ少々、飲みすぎたみたいだ」
 左手で両目蓋の上を、ぎゅっと押さえ。
「とりあえず、ひと眠りしてくる」
 え?、と驚き声を出したのを、きびすを返しつつ、背中で受け止めて。
「ちょっ……まだ話の途中じゃないか! そんな、眠いからって急に」
「続きは夜が明けてからな」
 右手を中途半端に上げて、ひらひらと振りながら、
「眠ってすっきりしてからの方が、会話の効率もいいだろうし」
 そう、付け足して。
 キッチン・スペースの横の扉の奥、ベッドルームを目指して、当麻は歩き出した。

 まるで、酔いが回って眠くてたまらない人間のように。
 あくまでふわふわと、気だるげに足を進めながらも。
 頭の中は、ただ一刻も早くこの場から離れたいという、痛烈な衝動に駆られていた。
 ……今はこれ以上、何も言ってはいけないと。
 何か言う度に墓穴を掘るのだ、間違いなく。

 だから。
 今はとにかく、素早くベッドにもぐりこみ。頭の先まで毛布を被って、何を言われても返事をしなければいい。
 そして朝が来れば、けろりと目覚めたふりをして。深酔いしてせいか何を話したかよく憶えてない、などと酒のせいにでもして。
 とにかく無理矢理にでも誤魔化してしまえ、と ────。

 そんな当麻の思惑とは、裏腹に。
 背後で、再びガタンとテーブルがずれる音がした。
「当麻」
「………」
「ちょっと待てってば」
 そう言いながら、ほとんど駆け足で追いすがってきた伸の。指先が、そして手の平が。
 自分の右肩の後ろに掛かった、その感触を意識した、次の瞬間。

「………!」

 一瞬、何が起こったのか……何をしたのか。
 自分でも、認識できなかった。

 ただ、右手首のすぐ下の部分に、何かに打ち付けたような痛みを感じ。
 そして目の前の、相手の様子で。
 触れてきた相手の手を、自分の腕が、勢いよく振り払ってしまったことを知り。当麻は息を呑んだ。
「…すまん。ついはずみで」
 驚きに見開かれた目で、自分を凝視している相手に、悪いことをしたと心底思いつつ。
「悪い。痛かったろ。悪かった、本当に」
「…いや。それは構わないけど」
 半ば呆然とした調子で、そう言って。
 振り払われた状態のまま、宙に浮かせていた手を、そっと下に垂らしたかと思うと。
 そのまま伸は、当麻に歩み寄り。

「なんて顔、してるんだよ」

「………」
 思わず視線を逸らした、当麻の顔を。それでもつくづくと眺めながら。
 穏やかな声で、伸は続けた。
「本当に。……一体、どうしたんだよ。当麻」


続く
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