Acts of God

31 / 31

★ Act.31 ★



 例によって、間接照明ばかりのホテル・ルームの。
 陰影の濃い、セピア色の薄あかりの下に佇み。
 少し手を伸ばせば触れてしまえる位置で、自分を見つめている、その真摯なまなざしから。
 相手の、ストレートであたたかな心遣いが、じんわり浸み込んでくるような気がして。
 ……この心を、何の衒いもなく。
 率直に受けとめることができれば、どれほど楽なことか、と心の底から思いつつ。

(……まったくだ。どうかしているな、俺は。)

「………」
 肩の力を抜いて、目を瞑り。
 とっとと正気に戻れ!と、当麻は自分を叱咤した。
 ちゃんと現状を認識し、正確に把握して。迅速に、最も適切な行動をとれ、と。


 そうだ。
 結局どうやったって、こんな風に、感情は漏れ出てしまうのだ。
 最早、胸からあふれんばかりに満ち満ちている感情。……この、強い想いは。
 そもそもこいつを押し隠そうと、封印しようとしたこと、そのものが。
 所詮は無理な、無駄な悪あがきだったのだ。

 そして。やはり何をどうあがいてみたところで、答えは、結論は出ているのだ。
 そう、最優先事項。ファースト・プライオリティ。
 そのためには俺の気持ちや想いの行方なんざ、とるに足らないこと。どうだっていいのだ。
 ──── こいつを、守り抜くためには。

 こいつにとっての、マイナス要因は。
 何もかも極力排除するべき、いや、しなくてはならない。
 例外などない。
 ……たとえそれが、俺自身であったとしても。



 やや顎を上げて、深く息を吸い。
 そして吐き出しながら、苦く決意して。
「…どちらにしても、時間の問題なんだ。伸」
「……?」
 相手が怪訝な調子で、時間の? と言尻を繰り返したのに。
 そうだ、と当麻は応じた。
「何かのはずみで、俺の鎧珠がまた暴走して。今度こそ、取り返しのつかない事態を引き起こすか。……それとも俺の忍耐が、遂にハングアップしてしまうか」
「………」
「なあ。伸」
「…何?」
 ともすると声がうわずりそうになるのを、ゆっくり言葉を綴ることで、なんとか落ち着かせながら。
「実はお前に、黙ってたことがある」
 と、静かな声で当麻は続けた。
「ボストンで、例の事件のあった日の、次の朝。大学に荷物を取りに行った帰りに、あのカフェレストランで、パーマー捜査官に再会した時に。言われたんだ。……お前をもらう、みたいなことをな」
「…もらう?」
「ああ」
 その言葉の意味するところに、伸がわずかに眉をひそめた気配がしたが。
「…それは単に、からかわれただけなんじゃないのか? さっき本人が言ってたように、お前を煽ろうとしてたってのも、もちろんあったろうし」
「ああ。そうかもしれないな」
 確かに、あの時点では。
 もっともその後は決してそうじゃなかったが、と胸の中で苦笑して。
「でも、そんなことは……言葉の真偽がどうのなんて、関係なかった。そのあとの、あいつに対する俺の態度は。お前も知ってのとおりだ」
 相手の胸もとあたりに留めていた ─── 直に目をあわせて話す度胸は、さすがになかった ─── 視線を、さらに下げ。首を横に振って。
「もう、ひたすらシンプルに、嫌だったんだと思う。嫌で嫌で、たまらなかった。……誰かの視線が、気持ちが。ずっとお前に向いているという状況が」
「………」
「そして多分、それが一番の理由。原因だ」
「原因って、……暴走の?」
 浅く頷くことで、肯定し。
「お前に危害を加えるかもしれない、諸々の要因から。純粋にお前を守りたかったとか、そんな、きれいなもんじゃない。……言ってみれば独占欲とか、嫉妬とか、そういった部類の感情だ。
 暴走していたのは、いや今もしているのは。鎧珠なんかじゃない。俺自身なんだ。本当に逸脱してるのは、お前に対する俺の感情なんだよ、伸」
「………」
「お前がさっきパーマー捜査官に話したこと、基本的には、間違ってはいないと思う。確かに、俺たちの鎧珠の力は、自分自身の個人的な望みには、原則フルには使えない。だがそれはあくまで、最大限の力を発揮できないってだけで……」
 息を継いで。
「基本的に奴らは、主である人間の望みを、願望を。まあ何もかもってわけじゃないだろうが、それでもその力が発現している最中には、可能なかぎり、何とかしてかなえようとするんじゃないかと思う。それこそ愚鈍なほど、律儀にな」
 こんな、とことんエゴイスティックな望みまで、かなえようとする必要なんざ無いのにな。
 苦笑混じりに、そう付け加え。
「とにかく今の俺は、天空として、完全に失格だ。
 いくら日本を離れて、鎧珠のタガが若干外れ気味だからって。力の制御もちゃんとできず、それどころかそのことを自覚すらできず。そして何よりその結果、お前を危険に晒してしまってたなんてな。最低だ。しかも……」
 胸の中心部が、ぎゅっと締め付けられるように感じながらも。
「しかもこれからだって無意識に、何をして……させてしまうかわからない。お前に関することにかぎっては」
 当麻は訥々と、言葉を繋いだ。
 素直に心から出てくる言葉を。本心を。
 ──── 本当の、ことを。
「そして、例えばこの先、お前に、……お前を好きになったり、逆にお前が好きになったりする誰かができて。その誰かとお前が、うまくいってしまったりしたら……お前にとって、誰よりも特別な人間ができるなんてことがあったら。やっぱり平静でいられる自信なんて、まったくない。今でさえ、そんなことを想像してみただけで、気が狂いそうになるもんな。……それを考えてしまうこと自体が、そもそも重症なんだろうが」
 そう言って自嘲的な笑みを浮かべ、でも、と言葉を継いだ。
「…でも、駄目なんだ。抑えきれないんだ、俺は。他の誰にも、絶対にお前を渡したくない。極端な話、誰の目にも触れさせたくないし、お前にも誰も見て欲しくない。お前の意思や思惑なんて、まるで関係なしにな。……もちろん俺にそんな権利なんざないし、それ以前に、お前にも選ぶ権利はあるのにな」
「………」
「でもお前の気持ちや感情を、考える余裕なんざ、もうまったく無いほどに……」
 さっきからずっと、胸の奥で疼き続けている息苦しさが、より一層強まったのに。
 さらにうなだれて、大きく息をつく。
 ──── 駄目だ。何だか涙が出てきそうだ。
 ハタチにもなって情けなさすぎるぞ、羽柴当麻。
「…駄目なんだ。自分でも、もうどうしたらいいかわからない位、お前が好きなんだよ。俺は」
「………」
「俺がこんな状態のまま、お前のそばにいたところで。サポートどころか、またいつどんな事態を引き起こすか。少なくとも、鎧珠が手もとにあるかぎり……」
 そこでふと、矛盾に気付き。
 矛盾してるよな。と、当麻はそのままを口にした。
「鎧珠があったからこそ、今まで俺は、お前といられたってのにな。ったく、まさに諸刃の剣というか」
「…当麻」
「だからといって」
 相手が何か言おうとして、自分の名を口にしたのを、そのまま喋り続けることで ─── 今話を途切れさせると、それきり何も言えなくなくなってしまいそうで ─── 遮り。
「…だからといって、鎧珠のことを抜きにしたところで。また何か起こった場合、冷静で客観的な判断を下せる自信なんか、今はまるでないしな」
「………」
「とにかく、こんな爆弾みたいな感情を抱え込んでるかぎり。俺は、お前の封印役を続けるわけには……そばにいるわけには、いかないんだよ。でも、それも相当辛いしな。だから、どうにかする」
「…どうにかって」
「ああ。若干、時間がかかるかもしれないが。とにかく、どうにかするから。だから……」
 ……だから何だってんだ、と。
 その時には今までと同様に ─── まるで親友みたいに ─── 付き合ってくれってか。我ながら、ムシが良過ぎるにも程があるんじゃないのか。
 それ以前にそもそも、多少時間や距離を置いた位でどうにかできるような代物か、などと。頭の中では続けられたものの。
 そこでもう本当に、続く言葉が、口から出てこなくなってしまったのに。

 妙に汗ばんでいる両手の平を、ぎゅっと握りしめながら、再び目を伏せて。
「…ごめん。伸」
 とだけ、当麻は口にした。



 それほど、長くもない。
 しかし二人のうち一方にとっては、おそろしいほど長い時間に感じられた、静寂の後で。
 詰めていた息を胸から解放するような、深い吐息の気配がしたかと思うと。
「…どうして」
 と、ややくぐもった声がした。
「どうしてお前が、僕なんかに、そんなに執着し続けてくれてるのか。……その理由が、やっぱり良く、わからないんだけど」
「…だろうな。俺にもわからん」
「………」
 少し苦笑しながら、そうだね、と返し。
「…で。鎧珠の封印、しばらく頼めないって?」
「…ああ。当面な」
「それは、困るな」
「………」
「とても困るよ」
 そう、小声ながらもきっぱりと言ってから。
 まるで話題を変えるときのような口調で、
「ところでさ、当麻」
 と、伸は続けた。
「…お前のことだから、忘れちゃいないと思うんだけど。昔、水滸の同調が始まった年の夏、……柳生邸で、だったかな。お前、確か言っただろう?
 僕たちの、付き合い方をどうするかについては、全面的に僕に決定権がある、みたいなことを」
「…ああ。忘れてない」
 確かにそう言った、と続けながら。
 ……やっぱり憶えていたんだな、と。
 そしてそのことを言質に、これから何らかの形で、責められるのだろうと思い。
 続く言葉を覚悟して、思わず当麻が、心中身構えた時。
「あの時の、お前の言葉。……そっくりそのまま返すよ、今」
「………」
「お前の、したいように」
 ゆるやかに。途切れ途切れに、伸は言葉を進めた。
「これからの。僕たちの……その、付き合い方については。お前が決めてくれればいい。お前にとって、一番無理のない、自然なやり方を……」
 当麻が、決めてくれればいい。
 そう、もう一度繰り返したのに。
「…俺が?」
「うん」
 ほとんど反射的にそう問い返した相手の、視界に映っていないのを承知で、こくりと頷き返し。
「僕は、それに従うよ」 と続けて。
 そのまま伸は、口をつぐんだ。


「………」

 俗に言う、頭の中が真っ白になる、という状態を。
 生まれて初めて、リアルに体感している気がした。

 ただでさえうまく回っていなかった思考が、ほぼ完全に、停止してしまった。
 その、白い靄の中で。
 相手が今言った、言葉の意味 ─── 回りくどくも伝えようとしているらしきことの、微かな可能性に気付き。
 ……まさかそんな、と。
 まだほとんど白い思考のまま、思わず顔を上げた、当麻の目に。

 すぐ目の前で、穏やかな表情を浮かべている、相手の顔と。
 静かな ─── たとえようもなく静かな光を湛えて、自分を見返している。
 澄んだ瞳が映った。



 少しの間、さっきまで口にしていた白ワインの、清廉な味と香りを感じたが。
 それらもすぐに、わからなくなった。
 突然強く引き寄せられたのに、思わず身じろぎしたらしき相手の背中に左腕を回し、より一層引き寄せて。腰を縛めるように抱え直しつつ、右手はうなじの上あたりを支え。
 さらに角度を変えて、深々と唇を合わせた。
 ……激しい眩暈にも似た感覚に、すべての意識が囚われたまま。
 ただひたすらその、濡れたやわらかな感触を、追い確かめることだけに没頭しているうちに。
 いつの間にか胸元に添えられていた、相手の両手の平が。自分の胸を押し返していることに、ふいに気付き。
 我に返って、腕を緩めた。

「………」

 肩を大きく上下させて、荒い息をつきながら。
 思考と同様に、幾分ぼうっとしている視界の中。
 自分の懐ぎりぎりの位置で、下を向き。小さく咳き込み続けている相手の頭を、当麻は愕然と眺めた。

 あっという間に、怒涛のように自分を支配してしまった、強い熱。
 まるで身体中の細胞が、歓喜に沸き震えているような……そして続きを、今以上のものを渇望している、感覚 ─── 今まで知らなかった感覚を、戸惑いつつも味わいながら。
 自分がどれだけそれを……この瞬間を欲していたのかを、否応なしに痛感させられた。
 ……そんな、大層素直な身体とは、裏腹に。
 思考の方では、今の状況が、どうにも信じられないまま。
「………」
 まだ落ち着かない息を、飲み込んで。
 おもむろに、少し震えてさえいる右手を持ちあげ ─── もう咳は治まったらしいものの、まだ口もとに手を添え視線を落としたままの、相手の左肩に、そっと置き。
 その手の甲に、額を押し当てて。
「……だぞ」
「…え?」
「こういうことなんだぞ! 俺の……」
 俺の、したいようにってのは。
 ほとんど息だけの掠れ声で、絞り出すようにそう告げたところ。
「………」
 耳のすぐ横で、わずかに笑った気配。
 続いて首を傾げるようにして、相手の頬が、自分のこめかみあたりに押し付けられたのに。
「……伸」
 とても我慢できず、衝動にまかせて、再び覆い被さるように抱き寄せても。
 特に抗うそぶりもなく、腕の内側で、自然に身を委ねている相手のことが。何だか現実味の薄い……不可解な存在にさえ、思えてしまうのは。
 自分の想いが、願いがかなう可能性など。
 こういった展開……拒まれず受け入れられることなんざ、何故かまったく想定すらしていなかったからだと、いまさらながら気付きつつ。
 果たしてこれは本当に現実なのか、と真剣に思う。
 夢じゃないのかこの状況は。だって俺にとって、あんまり都合よすぎるじゃないか。
 ……でも、夢にしては。
 薄手のセーターの、手触りのいい生地越しに感じられる、しなやかな肢体。握り締めた掌の中に収まっている、肩の硬さや。
 頬や耳に触れてくる髪の、自分と同じシャンプーの、ほのかな香りも。
 触れたくてたまらなかったこの身体の、何もかもが、あまりに確かすぎると ───

 ─── いやもう、これが現実でなくともいい。夢でもいい。
 何だっていい。

「……伸」
 相手の名前を、ほとんど息だけの声で呼んで。
「本当に、いいのか……?」
 ほんとうに、と重ねて確認すると。
「………」
 ほう、と小さく息をついた気配がして。
「…信じられない?」
「…いや、そういうわけじゃ……」
 だけど、その、と口ごもり。
「だって、……潔すぎるぞ、お前」
「…何だよそれ」
 耳の傍らで小さく笑いだした相手の、やわらかい声。
 そして僅かな吐息を、自分の肌で確かめているうちに。
 ようやく何だか、気持ちがほぐれてきて。身体の力がゆっくりと、程よく抜けていくのを感じ。
 それと同時に言葉にならない、あふれんばかりの愛しさが、腹の底から込み上げてきたのに。
「………」
 ただ、伸、と再び名前を呼びながら。
 鼻先を摺り付けるようにして、首筋に顔を寄せる。
 くすぐったかったのか、相手が少し仰のいたせいで、より露わになったそこに頬を当て、─── ややためらいがちに、鎖骨の上あたりの皮膚に、そっと唇を押し付けてみて。
 触れた部分のあまりのやわらかさに、そして吸い付くような感触に、感動すら覚えながらも。
「…後悔、しないか?」
「…するかも」
「………」
 途端に、相手の動きが固まったことに気付き。
 伸は怒ったような口調で、
「だって仕方ないじゃないか! ……その……よく、知らないんだし」
「………」
「…ああ、でも」
 そこで、瞳を細め。
 すがりつくように自分を縛めている相手の、その体温とは裏腹に、冷やりとしている硬めの髪に。微笑を浮かべた頬を、埋めながら。
 伸の口から出た、その言葉は。
 当麻の中にまだ僅かに残っていた、なけなしの理性を吹き飛ばすのに、充分すぎるほどの代物だった。

 伸は、こう言ったのだ。

「後悔したって別に構わない、なんてうっかり思ってしまう位には。……僕は、お前が好きだよ。当麻」


続く
- 31 -

01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31

水面下のさざなみ index

AAP top